香港と中国の歴史と仕組みから見る、デモ
本日の学びを共有します。
今回は、香港のデモについて、です。
これを単に、「逃亡犯条例やそれについての香港政府の対応に対する抗議活動」などと表面的に捉えてしまうと核を外してしまうと思い、中国との歴史から見てみることにしました。
元にしたのは以下の記事です。どうぞ参考になさってください。
香港で続く「抗議の歴史」 選挙で反映できぬ民意を示すデモ - 産経ニュース
香港区議会選、選挙戦スタート デモ参加者が続々出馬 ぬぐえぬ「選挙中止」の懸念(2/2ページ) - 産経ニュース
【解説】 なぜ香港でデモが? 知っておくべき背景 - BBCニュース
書店店長の「平凡な香港人」が語る自由の重み | 中国・台湾 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
香港行政長官、デモ隊の「5大要求」に応ぜず-諮問機関招集人の陳氏 - Bloomberg
「投票する権利を、どうか無駄にしないで」香港デモの若者から日本へのメッセージ【衆院選2014】 | ハフポスト
それでは、まとめてみます。
所々で誤りがありましたらすみません。
イギリス統治下の香港
始めに、香港はかつて、1842年から150年以上にわたってイギリスの植民地でした。
あのアヘン戦争が原因です。江戸時代の日本も震撼した、イギリスが清をボコボコにした戦争ですね。その後、イギリスは当時の清朝政府から「新界」と呼ばれる残りの地域も含めて租借したそうです。
そこから香港は中国本土とは異なる道を歩み始め、活気ある貿易港となり、1950年代には製造業のハブとして経済成長を遂げました。一方で、中国本土は共産党と国民党の分裂や共産党の独裁政治で慢性的な政情不安や貧困に悩まされており、迫害などを逃れた人たちが香港に移り住むようにもなりました。
そのため、香港の中国への返還期限が迫った1980年代前半には、香港の民衆は、返還後は中国の法律に従うべきだと主張する中国の共産党政府と対立し、国外へ居場所を求めて出て行ってしまうようになったのです。行き先は、イギリス連邦内のカナダやオーストラリアだったようです。
一国二制度とその実情
1984年、「外交と国防問題以外では高い自治性を維持する」を約束して「一国二制度」の下に、香港が中国に返還されることで合意となりました。香港は中国の一部になるものの、1997年の返還から50年は「特別行政区」として資本主義体制を維持できることになったのです。
しかし、「高い自治」の文言は額面通りには受け取れないものでした。
そもそも、香港のトップは「行政長官」と呼ばれる位の人物で、その選出方法は1200人の選挙委員会での選挙によるものです。そして、その1200人の選挙委員を選ぶ権利を持つ大体の人間は、中国共産党の関係者です。
つまり、一見すると間接選挙にも見えるトップ選出が、中国共産党政府の息のかかった人物で決まる出来レースということです。
議席の一部は香港の民衆による選挙で選ばれた有権者に割り当てられていますが、例えば、忠誠の誓い(「中華人民共和国香港特別行政区への忠誠」というもの)を正しく述べることを拒否したり、「香港は中国ではない」と書かれた旗を掲げたりしたことで、議員資格を剥奪された議員もいたそうです。
徐々に蝕まれる「高い自治」
先に記載しました選挙制度につきまして、さらに規制が厳しくなります。
2014年8月には中国の全国人民代表大会が、行政長官選挙から民主派の候補者を排除する制度を一方的に策定したのです。
これに抗議しデモを起こした若者を中心とした香港市民と、それを弾圧する香港警察。デモ隊が催涙スプレーから身を守るために使った傘が象徴となり、この抗議デモが「雨傘運動」と呼ばれることになりました。
この「雨傘運動」は選挙制度そのものの在り方も問い、普通選挙を求めましたが、この年の12月、強制排除されて失敗に終わりました。
また、2015年10月には、書店の店長など、5人が相次いで「行方不明」になる事件が発生しました。その書店では、中国で発売禁止とされる書籍を中国にも販売し、また中国の習近平国家主席を批判する書籍を出版していることで有名でした。
8カ月後、行方不明になった関係者は、中国当局によって拘束されていたことが判明。まさに、自由主義の香港で「言論の自由」が脅かされていることが露呈した事件でした。
ここまでが、香港の独立から中国政府との関係性の変遷です。
そして逃亡犯条例
そこに突如として浮上したのが、逃亡犯条例問題です。
この事件自体は、
【2018年2月に香港人男性が台湾で恋人を殺害、逮捕前に香港に戻るが、香港と台湾の間に犯罪人引き渡しに関する条例がなかった。だからそれを作りましょう】といったものです。
中国の司法というのは反体制派に対して極めて過酷です。それは書店員失踪事件でも明白ですし、中国本土の例をあげれば枚挙にいとまがないことでしょう。
つまり、香港の犯罪者が本土へ送られる仕組みができたら、政治犯と見なされた者が(都合よく)大陸に送られる仕組みができてしまう、とも考えられたのです。これは、自由な社会の終焉であり、香港市民からしたら絶対に認められないのです。
デモの五大要求
今回のデモでの要求は先の逃亡犯条例改正案の撤回の他にもあります。警察への調査、デモ参加者の釈放と「暴徒」認定の撤回、そして普通選挙の実現です。 やはり争点となること、香港市民が切実に求めているものは、普通選挙の実施というわけです。逃亡犯条例改正案自体は遂に撤回されましたが、いまだにデモが終わらないのはここが受け入れられないからで、裏を返せば、普通選挙が受け入れられなければ、いつまた逃亡犯条例のような法案が作られてしまうか、わからないのです。
次の争点
11月24日には区議会選挙が予定されています。先ほどの選挙委員1200人のうち、117人は区議から選ばれます。区議会は香港でもっとも民主的な選挙と言われており、現状を鑑みれば民主派候補が多数当選することが予想されています。
そのため、仮にもこの選挙が延期や中止という状態に追いやられれば、更なる抗議に繋がる恐れがあるのです。
また、アメリカの上下院が「香港人権・民主主義法案」を通したことで、アメリカによる香港情勢への介入、またそこから生じる米中の摩擦が懸念されています。
イギリスによる香港の占領、または中国併合に端を発しているこの問題は、まだまだ終わらないどころか、拡大する可能性すらもあり、注視が必要なのです。
日本人への叫び
最後に、2014年の衆院選に際して投稿された動画を添付して結びます。
当時のデモ参加者らは、日本へのメッセージの中で、投票権がどれほど重要なものであるかを訴えています。
「日本のみなさんにとって、民主的な選挙は当たり前のことなのかもしれません。民主主義と共に生まれ、自由と共に育ってきたのかもしれません。
でも私たち香港の人々は、闘わなければ民主主義を手に入れることはできません。民主的な選挙があれば、好きなように未来が描けます。歩みたい未来を掴むために、よりよい未来のために投票することができます。
あなたには国を良くする力があります。そして社会を変える力もあります。だからぜひ投票に行ってください。どうか、投票する権利を無駄にしないでください。
日本の皆さんが、自らの手でリーダーを選べるということがいかに尊くいかに稀有なことであるか、気づくことを願っています」
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